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算数・数学

14.「興味関心意欲の法則」の使い方 (2)

     (小学校〜思春期)

 

前回、大学生向けの、「興味関心・意欲の法則」の使い方について書きました。

 

今回は、別の発達段階にある子供に対して、どのように使えばいいのかを書いてみます。

(ア)思春期の子供に対しては?

(イ)小学低学年に対しては?

(ウ)幼児に対しては?

(エ)赤ちゃんに対しては?

 

前回書きましたが、「意欲」の持つエネルギーはすごいものです。同じことをするのでも、この「意欲」のエネルギーの波に乗って行えば、いともらくらくと達成できてしまうのです。

 

 

 

 

さて、大学生から発達段階を手前へとさかのぼってみます。

 

 

 

(ア)思春期の子供に対しては?

 

この前には高校生、中学生という過程がありますが、ここには「思春期」という疾風怒涛の大切な時期があります。

 

これは、第2反抗期とも呼ばれ、誰もが通過しなければならないものです。それまで、批判意識というものがなく、言われたことをそのまま素直に受け入れていたのが、ひとつひとつ「本当にそうなのか?」と疑ってかかるようになるわけです。

 

この時期の本質的な特徴は、その批判の対象が自分の内に向かうということです。体はもう大人になっているのに、精神はそれより遅れて脱皮をしようとする、このアンバランスから、人生の危機に陥ることもあります。それだけに精神的な支えというものが必要です。

 

誰もがそうだったように、親を乗り越え、自分の志を開いていこうとするときでもあります。

ともにこの人生を歩む魂として関わっていくことが、これまで以上に大切になってくるでしょう。

 

 

 

さて、「思春期」に入ると、それまで当然だと思っていたことをひとつひとつ疑ってかかるようになるわけです。勉強をやるということについてもしかりです。ですから、それを本人が自分で吟味して獲得していけるように、ある程度本人に任せることが大切になってきます。

 

でも、目の前には「受験」というものもあるし。黙ってみていたらいつまでも勉強する風でもないし…。あるいは、このごろ態度がふてぶてしい。注意したら逆に噛み付いてくるし…。

親としてどのように関わっていけばいいのか、葛藤する時期でもあります。

 

 

生活面では、いけないものはいけないという枠を、家庭の原則としてしっかりと決めておきましょう。(たとえば、「携帯電話は高校を卒業するまでは持たせない」という原則を打ち立てられるなら、これは立派な事です。)

守るべきところは、親の責任においてしっかりと守る。特に真善美の「善」に関わるところ、人としての生き方は、親自身がそのように生きて背中で見せることが大切です。

 

その枠の中で、安心してさまざまな事に挑戦できるようにしてあげましょう。

 

 

学習面にしても、何かの習い事にしても、思春期に入るまでに、ある程度「学習の独り立ち」ができるようにしておいてあげることが一番本人にとっていいのです。

そして、思春期に入ったら、できるだけ本人に任せるようにしてあげましょう。親は、それを応援するという形です。

 

 

したがって、小学校高学年から中学生というのは、そこへの橋渡しの時期であると考えましょう。しっかりとした親の管理から、少しずつ、本人にバトンを渡していくのです。

 

 

 

 

 

 

 

(イ)小学低学年に対しては?

 

さて、以上のように子供の成長を捉えると、親が主体的に子供に関わって影響力を及ぼすことができるのは、小学生の間であるといえます。

 

ここまでの時期を、もしも親が、子供が自分の言いなりになるからといって自分のエゴ丸出しで教育をするとしたら、思春期になったときにその反動は猛烈に子供から噴出してくるでしょう。

 

やはり、一つの魂として子供に関わっているんだという畏敬の想いが大切です。

それを土台として子供に関わります。

 

 

 

生活習慣、学習習慣をきちんと身につけさせてあげて、毎日の生活を軌道に乗せるためにも、小学校低学年から3年生の時期は大切です。

 

何か言われたこと(たとえば洗濯物をたたむお手伝い)をちゃんとできて、ほめてもらえるとうれしい。そして、それを自分の家の中での仕事として受け持って毎日やっていく。毎日お母さんは感謝の言葉をかける。子供は喜ぶ。

これは一つのエネルギーの循環です。

遊んで帰ってきて「あー、おなかが減った、ご飯まだ?」と言うときに、自分の洗濯物たたみのお手伝いをやらなければならないとしたら、面倒くさいことでしょう。そのとき、毎日お母さんが掛けてくれる声を思い出して、「よしやろう」と踏ん張ることもあるでしょう。ひとつの「意欲」です。

 

小学校の先生は、このようなエネルギーの循環を一つのシステムとして行うのが上手です。たとえば、何かやるべきことが一つできたらシールを貼る、とか。子供は結構これを喜びます。(中学生でも喜びます。もちろん、そのシステムを動かす側が、これを遊びとして楽しむことが大切なのですが。)

 

 

小学生の間は、この「習慣づけ」がかなり大切です。よい生活習慣ができれば、その後中学生に上がり本人に次第にバトンを渡していくときに、その生活習慣がまさに本人を支えてくれるよき「同志」となることでしょう。

 

このような「習慣づけ」と、そして、「学習のしかた」を教えて身につけさせてあげることが、この時期の親の大切な役割です。

 

 

《スーパーらくらくスタディ》は、おもにこの時期の子供の算数の学習に的をしぼって作ってあります。『秘法 スーパーらくらくスタディ 直伝編』に、くわしく書いてありますので、ここではこれ以上は述べません。

要は、

親が言いつけたとおりに子供を動かそうとするのではなく、子供が喜んで自分からやりたくなるように持っていく

ということです。

それが、この時期の、「興味関心・意欲の法則」の使い方です。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、ここまででいったん切ります。

(ウ)幼児に対しては?    と

(エ)赤ちゃんに対しては?

については、次回に分けることにします。

 

 

そのつなぎとして、重要な事を一つ書いておきます。

それは、

学習については、小学校に入ってからはじめたのでは遅い

ということです。

 

もう少し、正確に言いますと、

もしも小学校入学までに、一切の知的学習をさせてなかったとすると、小学校に入ってからはじめても、その後子供はずっと学校の授業についていけなくて苦しむ

ということです。

 

 

かなり極端なことを書いていますが、言い換えればこれは、

公的教育だけでは子供に十分な力をつけるのは不十分である

といっているのであって、これをはっきりとインフォームドコンセントして差し上げておくことこそが、本当の「親切」であると思うのです。

 

でも決して不安をいたずらにあおることが目的でこんなことを言っているのではありません。これを読んで不安になった方もおいでるかもしれませんが、後安心ください。その意味では現代社会は恵まれています。たとえば、NHKの教育番組などで小学校に入学する前に子供は文字や数に接する機会もあります。

むしろ、小学校に入学するまで、一切の知的学習はさせない、ということの方が難しいでしょう。

 

それでは、何のためにわざわざこのようなことを述べたのかといえば、

幼児教育は大切である

ということです。そして、幼児教育の大切さを知ろうと思えば、その原点は赤ちゃんにあるのです。

 

                 コラム15へ つづく

 

 

 

 

13.「興味関心・意欲の法則」の使い方(1)

(大学の試験でオールAをとる方法)

14.「興味関心・意欲の法則」の使い方(2)(小学校〜思春期)

15.「興味関心・意欲の法則」の使い方(3)(赤ちゃん〜幼児期)

 

 

 

 

 

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