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算数・数学

06. 数学者 岡潔先生(1)

私が高校1年生のときのことでした。高校の図書館の薄暗い隅に、1冊の本がありました。昼休みに友人と一緒に図書館に行っていろいろ本を見ているときに、たまたま手に取った本との出会いが、私の人生を決めました。

 

それは、『春宵十話』。表紙に、黒い太字でこの題名と、そして、「岡潔」という著者名が書かれてありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そのころ、私は「岡潔」という人のことは、まったく知りませんでした。

ところが、数ページパラパラと読み始めて、たちまちその本にひきつけられたのでした。

 

それからというもの、私は、その人のことを「岡潔先生」と呼ぶようになりました。

 

もっとも、私はその方に直接お会いしたことはありません。私が大学生のときに、その方は亡くなったのでした。ショックでした。ポッカリと心に穴が開いたような気持ちがしたのを今でも覚えています。

いつか、岡先生に直接お会いしたい、とずっと思っていたからです。

岡先生が奈良に居られる、と思うだけで、がんばれたのです。

岡先生の訃報を新聞で見てからしばらくは、灯が消えたような気がしていました。

 

話を端折ってしまいました。

高校のときのことに戻ります。

私はすぐにその本を借りて帰り、読みふけりました。

 

それは岡先生の随想集でした。

 

本を開くと、「はしがき」とあって、次のように始まります。

 

 

 

人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野にさまざまな彩の草花があるようなものである。

私は数学の研究をつとめとしている者であって、大学を出てから今日まで三十九年間、それのみにいそしんできた。今後もそうするだろう。数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。

 

 

 

今こうして、『春宵十話』を開いて岡先生の御文章を打ち込んでいると、一種名状しがたい懐かしさに胸が震えます。

 

そして、私は数学を志しました。

数学一筋に打ち込まれた岡潔先生のように私も生きたい、と強く思ったのです。

数学科に進み、4年間私も数学の勉強一筋に打ち込みました。

そんな中で、岡先生の訃報に接したのでした。

 

岡先生のことは、また改めて書きたいと思います。

 

さて、私は、大学4年になり、数学の研究を選ぶか、それとも教職を選ぶかという進路の選択を目の前にして、いろいろな本を読みました。

そして、そのときにも、それから後もずっと私の座右の銘であった、岡先生の御文章があります。

『春宵十話』の、「義務教育私話」の一説です。

 

 

 

数学教育について一言したい。数学は人の心からとって知性の文字板に表現する学問・芸術の一種である。したがって心の中にある数学を開発することが数学教育の任務である。しかし、今の教育を見ると、数学というものをわかって教えているのだろうかと疑わずにおれない。

(中略)

数学教育の目的は決して計算にあるのではない。かたく閉じた心の窓を力強く押し開いて清涼の気がよく入るようにするのにあるのだ。数学教育は大自然の純粋直感が人のこの情緒の中心によく射すかどうかに深くかかわっているのであって、計算が早い、遅いなどというのは問題ではない。私たちは計算の機械を作っているのではないのである。

数学の教え方としては「よく見きわめて迷うところなく行ない、十分よく調べて結果が正しいことを信じて疑わぬ」ようにさせるのがよい。(後略)

 

 

 

 

「かたく閉じた心の窓を力強く押し開いて清涼の気がよく入るようにする」

教育の道に進んでからも、何度この言葉を思い出したことでしょう。

 

理想と現実の狭間で行き詰って倒れることもありましたが、そのたびに、何度、岡先生の生き方を思い出したことでしょう。

 

岡先生の生き方のどんなところに私は惹かれたのか?

それについては、また改めて書きたいと思います。

 

私は数学の研究の道からは離れました。私は、とうとう岡潔先生の論文集を読むという目標を果たすことはできませんでした。

けれども、岡潔先生は、私にとって大切な人生の師のお一人でした。そして、これからも、岡先生の生き方を目指していきたいと思っています。

 

 

07.「算数・数学が分からない」ということの意味

21. 数学者 岡潔先生(2)

 

 

 

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