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04.教え方 分数その4 (割り算A)

映画『おもひでぽろぽろ』に学ぶ

コラム03(分数その3)で取り上げた「視点2」について、もう少しくわしく見ておきましょう。

 

視点2:

 タエ子の「なぜ?」に対して、誰もたえ子が納得いく説明をできなかったという事実です。

 これをどのように受け止めればいいのでしょうか?

 姉は、そのとき、タエ子から疑問を突きつけられて、立ち往生。答えることができませんでした。

 おそらく、学校の先生も授業で説明したはずですが、タエ子を納得させられなかったのです。

 なぜでしょう?

 なぜ、誰も、たえ子が納得いく説明をできなかったのでしょう?



 実は、分数で割る割り算のやり方をどうしてそうするのか説明することは、難しいということは、コラム03で述べました。

 

 その難しい理由は2つあります。

 まず、第1に、りんごにこだわっていたのでは、すぐには越えられない壁が出現してしまうのです。

  なら、りんごですぐに納得のいく説明はできます。

 同じように、なども、りんごで納得のいく説明がすぐにできます。

 ところが、 になると、すぐにはうまくいきません。 などにしても、すべて、りんごで説明はできるのですが、その発見や理解にはかなりの時間がかかることが予想されます。

 さらに、割られる数も分数になって、 となると、もっとたくさんの時間がかかるでしょう。

 これが、さっき述べた「壁」です。

 

 第2に、それをようやく納得できるようになったとしても、分数の割り算の勉強はそれで終わりではありません。むしろ、ここから始まるのです。

「分数の割り算は、割る数の分母と分子をひっくり返して掛ける」

ということにつないでいくために、また新しくそのための時間をとらなければならないのです。

 教える授業時数の限られている学校で、そのような流れで教えることは、無理でしょう。

また、学校ではなかったとしても、そのような教え方は子供にとって、多大な労力をかけすぎます。ごく一握りの子供以外は、途中でリタイアしてしまうでしょう。 



 さて、タエ子に話を戻しましょう。タエ子は、 の意味は教えてもらっていたのでしょうか? たぶん教えてもらってなかっただろうと思います。もし、教えてもらっていたとしたら、

「1個のりんごを で割るってどういうことか」

これは、りんごを使ってちゃんと想像できるはずです。それを基にして、 の意味も考えることはできたでしょう。ということは、その意味では、先生の指導に足りないところがあったのだと推察されます。

 しかし、 の意味から始めて、リンゴで割り算の意味をとことん追究していく路線でいってしまうと、先ほど述べたように、逆に「分数の割り算」が定着しない児童を多くつくってしまう恐れがあります。そう判断して、先生は「習うより慣れろ」で、割り算を練習することに重点を置いて授業をすすめていったのかもしれません。

 

 


 ところで、もう一つ注目すべきは、現在の教科書においても、この「分数で割る」やり方の理由の説明は、大変難しいものになっているということです。

 以前よりも学習内容がかなりやさしくなり、教科書もカラーで見やすくなった現在でさえその状況ですから、たえ子が小学生だった昭和40年代には、もっと難しい説明だったかもしれません。

 その場合、教科書を基にして教える先生には、それ以上に分かりやすい説明はできないということです。先生が教科書以上に深く洞察しているのでなければ、納得いく説明はしてもらえないでしょう。

 タエ子より数年先に、やり方だけ教わって、それを練習してできるようになっているタエ子の姉に、タエ子が納得のいく説明ができなかったのは、当然といえば当然のことです。

 



 以上のことからわかるように、ここは、まともに教えるのは大変難しいところなのです。

 ですから、「理由はいえなくてもいいから、とにかく(分数)÷(分数)の計算をできるようにしよう」という路線で、やり方だけ教えて、バンバン進めていくのも、一つの方法です。そして、そのようなやり方を採用するなら、分数の割り算は小学2年生よりももっともっと早い段階で習得することもできるようになります。




 けれども、そのやり方を採用するときに陥ってしまいやすい危険性を指摘しておきましょう。

 それは、人間的に間違った育て方をしてしまう恐れです。

 理由にこだわらなくても、どんどん計算ができるようになっていきますから、「自分は算数ができる」んだ、と錯覚してしまうのです。実際、算数の計算はよくできるわけですが、それは決して、算数や数学のリズムに触れることではありません。

 単なる計算は、数学の命ではないからです。

 そうなると、タエ子の姉のように、まじめに一生懸命意味を考えている人を「バカ」呼ばわりするようなことも起こってきやすくなるでしょう

 自分は「計算ができる」というそのことだけを根拠に、計算が自分よりできなかったり遅かったりする友人を下に見るようになるかもしれません。



 したがって、理由を考えることなしに計算能力だけを開発していくときには、

 「計算の能力は開発しているけれど、あなたのやっているのは決して本当の数学の力をつけていることじゃあないの。それを助ける補助をしているのよ。だから、学校の授業や、分からないと言っているお友達の声は、よく聴かせてもらわなければダメよ。」

 このように言って、本当のところを自覚させておくことが何よりも大切になります。



 計算の力は必要です。ですから、計算能力を開発すること自体を否定しているのではありません。

 大切な事は、計算ができるというそれだけで天狗にならないように導いてあげること。そして、「考えること」、「意味を納得すること」を大切にする姿勢を養ってあげること。それが、必要なのです。



 小学校低学年、中学年は、「考える姿勢」、「意味を納得する姿勢」を育み、その土台を作る時期です。

 そうして、「考える楽しさ」を味わっているならば、何か難問に出会ったとき目を輝かせるようになります。タエ子が「分数事件」で提起した問題は、一つの難問です。小学生では、これに応えるのは難しいでしょう。



 もし、中学生のお子さんがおられたら、『おもひでぽろぽろ』のあのシーンを見せて、

「タエ子が納得いくように説明してあげて。」

と問いかけてみるといいでしょう。

 目が輝くでしょうか?  それとも、めんどうくさがるでしょうか?

 もしも、目が輝くならば、すぐに納得の行く説明ができなくても、必ずいつかはそれに到達できるはずです。

 そして、タエ子の姉の年齢になる頃には、「解決」できていることでしょう。


 ここに、一人、タエ子の納得のいく説明をできる人が現れたことになるのです。



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