基本理念  材 お問い合わせ

 

 

026.正五角形の作図(1)

 

 中学校の数学で、純粋に数学の美しさに感動できるところのひとつがここである。

 

中学校1年生の3学期に図形に入るが、まず、平面図形をやる。そこで出てくるのが『作図』である。

 

「使う道具はコンパスと定規のみ。コンパスは等しい長さを取るのに使い、定規はまっすぐな線を引くためだけに使う」

 

これだけの、ごく単純な約束から、実にわくわくドキドキの世界が展開していく。

 

 

 ただし、まだ、『図形の論証』はやってない。(これをやるのは2年生になってから。)したがって、厳密に「どうして?」という理由をすべて確認していく必要はない。

 

 

 

まず、基本作図を5つ覚える。これは、覚えるだけでよい。角の2等分と、垂線を立てたりおろしたりと、角の移動と、線分の垂直2等分線。

 

 これを、1年生のこの段階では、「公理」のようなものとして認めるのがよい。

 

 

 その上で、これら5つの基本作図を使っていろいろな図形を作図していくのである。

 

 まず、三角定規の角…45°、30°、15°、…。もう、生徒たちは十分に考えることを楽しんでいる。

 

 

 

さらに、多角形に広げる。ここで、「円に近い多角形」というテーマを与える。

 

すなわち、転がしても形が変わらないような多角形。正多角形である。正三角形、正四角形。いろいろな作図法を考える。

 

そして、正六角形、正八角形、…。

 

円周を等分するというアイディアに気づいて、生徒たちは、どんどん進めていく。正十二角形、正十六角形…。

 

 こうして、頂点の数が倍倍となっていったときできる正多角形は、解決した。

 

 

 

さて、そこで、一転して簡単な(頂点の少ない)正多角形に戻って考察してみると、正三、正四、ときて、その次の正五角形がまだ作図できずに残っている。

 

 よっしゃ! やってやろう! 生徒たちの意欲は盛り上がる。円周の等分と、角の2等分をうまく使えば、ナントカなるのではないか?

 

 ところが。ところが、である。これが、出来ないのだ。

 

それもそのはず。あの文化の高かったギリシャの数学者たちがみんな挑戦したけれども、だれもできなかったのだから。

 

ピタゴラスを待ってはじめて発見されたという作図法。簡単に発見できるはずがない。

 

難問にぶち当たって、生徒たちのエネルギーはますます高ぶる。

 

      ……  教室には熱気があふれている。

 

 

 

 

 ただし、ここでひとつ、指導には難しいジレンマが生ずる。それについて書く:

 

 

 

 

 それは、ひとことでいうと、1年生の段階では、まだユークリッド幾何学の公理論的な推論の方法は学んでないという問題点である。

 

 

 だからといって、「1年生では理由を無視していい加減にやっていく」ということではない。

 

「90°の半分が45°だから、垂線を立てて直角を2等分すればいい」

 

というように、きちんと論理的に45°の作図を納得する。こうして、ひとつひとつ、45°、30°、15°、…と未知への挑戦を乗り越えてきた。だから、面白いのである。

 

 そしてまた、これまでの数や方程式や関数でかなり開いていた「学力差」が、ここでは、一気に消える。それまで成績のよかった生徒が悩んでいる横で、それまで成績のパッとしなかった者が一躍、躍り出ることが往々にある。

 

 それまでの成績の高い低いが消えて、みんなが同じラインに並んで考えられるのだ。そこで、

 

   「次はわれこそが第1発見者となってやる」

 

と、生徒皆が燃えるのである。

 

 さて、生徒たちは、作図に入ってからきちんと、基本作図を使って、作図の約束に従って、一つ一つ解決してきた。

 

そしてその延長線で生徒たちは、正五角形もなんとかなるだろうと予想して挑戦するのだが、どうしてもうまくはいかない。

 

 

 

 さてさて。ここで、すごいことが起こる。

 

 正五角形の作図が、生徒たちから次々と生み出されてくるのだ!!

 

はじめのうちは、ひと目見て明らかに正五角形にはなっていないようなものを意気揚々と持ってくるのだが、私に指摘されて席へ帰って行く。

 

 こういうことが繰り返されて、しばらく時間が経った頃…。

 

 生徒が持ってきた正五角形。作図のコンパスや定規の跡が複雑に残っている。

 

 

 ム…!

 

 「こうだから違うだろ」と指摘してやれない。挙句には、私は、コンパスで各辺の長さを調べ、分度器で5つの角の大きさを測ってみて、「ホラ、長さが違うだろ」と言いくるめようとするが、これが見事なまでに、等しい長さ等しい角の大きさになっているのだ。

 

 

 

 

 さて、先ほど言った「ジレンマ」とは、2年生で図形の論証を学んだ後であれば、

 

「いくら作図が出来たように見えても、ほんとうにできていることが『証明』出来なければ、それは『作図が出来ている』とはいえない」

 

と突っぱねることが出来るのである。

 

 しかし、まだユークリッド幾何学の公理論的推論の仕方を学んでない1年生に、そこまで要求はできない。

 

 そこで私が反論してやるのだが、もうとてもその反論が出来ないくらいすごいのを作図して持ってくるわけである。

 

 

 

 ほんとうにいろいろなのがあったが(もうそれは「芸術」といってもいいくらい…)、中でも、Yさんの正五角形の作図は今でも印象に残っている。それは、「極限の考え」を使っていた。だから、鉛筆の芯の太さでこれ以上描ききれないというあるところまでいくと、そこでとった頂点の位置が、見事に正五角形を近似していたのだ。

 

 はじめに、『作図』の約束を説明するときに「有限回」という言葉は出さなかった。(必要がないときにあまり厳密に説明しすぎると、かえって生徒は混乱するので。)

 

 だから、このときの私の授業においては、Yさんに対しては、「お見事!正解!!」と、『第1発見者』として褒め称えるべきであった、のかも知れない。

 

 けれども、私は、「厳密性」にこだわって、結局、私が何を言うかと目を輝かせて待っているYさんに向かって、「出来ているみたいだけれど、作図は有限回でやらなければいけないから、これではダメ」というようなことを言ったのだ。

 

 実際にはもう少しくわしく説明したのだけれど、Yさんには納得できなかったようだ。

 

 これは20年以上前の話である。今でも思い出すと、「お見事!!」と言ってやったらよかった、と後悔の気持ちが起こるのである。

 

 

 

 

 正五角形の手前までは、きちんと、基本作図と作図の約束のみを使って、「推論」を重ねて解決してきていたのに、正五角形ではそのやり方ではどうにもならないために、ついに生徒たちは、「使えそうなものは基本作図以外のものでも何でも使う」という、いわゆる「掟破り」をするわけだ。

 

 

 

 

 こうなると、もう公理論的に推論していく、なんてまだるっこいことはやっていられない。なんでもありの世界に突入していく。

 

 2年生でユークリッド幾何を学んでも、しばらくは「仮定」と「結論」をごっちゃにすることよくある。

 

 1年生の段階で、上のようになると、基本作図以外のものでも平気でバンバン使って、「それはどうしてそうなるの?」と訊いても、そんなの当たり前だと一向意に介さなくなるのは、当然といえば当然だ。

 

 

 

 

 正五角形の作図を、きちんと、公理論的に解決するには、1年生では「ムリ」である。それにいきなり挑戦しようとしたから、上のようになってしまったというわけだ。

 

 ならば、正五角形の作図は、1年生ではおあづけにしておいて、3年生でやればいいということになる。

 

 正五角形の作図については、中学校3年生の内容まで学習すれば、完全に解決できるからだ。 

 

 

 

 

 しかし、私は、作図の学習の中で、正五角形の作図に触れることにこだわる。

 

 エネルギーのバランスの問題なのだ。

 

 

 

 長くなるので、027 正五角形の作図(2)に続く。

 

 

 

 

 

 

 


テキスト ボックス:  当ホームページに掲載の一切の情報は著作権法に保護され、著作権は数学教育アカデミーに帰属します。
文章・文章構成・表現内容・文字データ等の転載・転用・模倣は一切禁止いたします。
2005  All copyrights reserved by MATH EDUCATIONAL ACADEMY