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開発秘話(1)
1’    現 状


10年前、私は、関わる子供たちみんなに算数・数学を分かってもらいたいという願いを持ちながら、算数や数学を教えていました。しかし、本当に子供たち全員を、「学習内容がわかる」という状態まで導くということは、難しいことでした。



それには、同時に何十人もの子供を教えるという、「形態」そのもの(システム)の限界があります。マンツーマンで関わるならば、どの子供にも「学習内容がわかる」という状態を体験させてあげることはできるのです。

けれども、学校は指導要領に沿ってある一定の速さで授業を進めていきます(授業時間数の限界)。そうすると、どうしてもその「枠」(一定の時間枠の中で一定の学習内容をこなさなければならないということ)からは、はみ出してしまう子供が出てしまいます。これは、一斉授業という形態をとる以上、必然です。学校も塾も同じことなのです。



そこで、そのようなときは個人的に関わって「学習内容がわかる」状態まで導きます。

ところが、このような形の学習しかしてないと、その子には困ったことが起こってきます。小学校高学年や中学校など、学年が進むにつれて、学校のスピードに追いつけなくなっていくのです。学習内容が、学校でも塾でも分からないとすると、たとえその後補習でやっと分かるとしても、子供の負担は膨大なものになってしまいます。




2’    理 想


このような現状の中で、私には常々思っていることがありました。

それは、どの子も、もっと簡単にスラスラと算数や数学が分かって楽しくなれる方法があるのに…、という思いです。



昔ある本で、『アメリカのある小学校では2年生が方程式を授業で学んでいる』という記事を読んだことがあります。そして、それに取り組んでいる小学2年生の写真がありました。そうです。方程式の考え方は、小学2年生にも十分理解ができるのです。

(ただ、方程式を使いこなすための準備として、文字式や正の数・負の数や分数を習得しておく必要があり、文部科学省の指導要領ではそれに時間がかかります。結果として、中学校に入学するまでに、すでに子供たちの多くは、算数嫌いになっています。)




3’    転 機


私は、教育関係の本をたくさん読みました。本屋さんで「いい」と思う本を一度に3〜5万円ほど買います。立ち読みで済ませることもあります。休日に朝から夕方まで本屋に居座って読みふけったものです。



そんな中で、自分の子供が生まれ、私も父親になるときがきました。世の父親がそうであるように、私も、子育ての経験のまったくない白紙の状態から父親をはじめたわけです。赤ん坊のわが子を見ていると、「もしこの子に何かあったら自分の命と引き換えにしてでも救いたい」とほんとうに思ったものです。お風呂に入れたり、抱っこしたり、急に熱が出て深夜に病院へ連れて行ったり。いろいろな事がありました。



私は、何も知らない幼児が、どのようにして知識を獲得していくのか、わが子を見ながら探求しました。育児書もたくさん読みました。特によく読んだのは、七田式の七田真氏の本です。また、教材では、公文のカードが絵が美しくてたくさん購入しました。



けれども、算数については、「これはいい」と思う教材がなかったのです。

ずいぶん探しましたが、ありませんでした。



私は、昔自分が数学を志しただけに、「数学(算数)が分かる」ということには強いこだわりがありました。単に計算のやり方を教え込むのではなく、ほんとうに「数学」を学ぶ世界に子供を導いてあげられるようなそのような教材を求めていました。

子供が勉強のハードさを意識することなく、らくらくと遊び感覚で取り組めて、しかも、きちんと系統的に学べ、さらにいつのまにか身についているような教材。学習している間に、いつの間にか、数学的学習態度が身についているような教材。






4’    創 造


そこで、私は、自分で作ることにしました。1枚1枚。 目の前に自分の子供がいるので、反応を見てすぐに教材の足りないところを修正することができます。



そして、赤ちゃんのときから関わったおかげで、私には 最も大切な原理が見えていました。それが、《興味関心・意欲の法則》です。

赤ちゃんは猛烈なエネルギーを持ってあらゆることを学びたがっています。そのスピードになかなか大人はついていけません。けれども、赤ちゃんに密着して心を合わせていると、次第にその波動が分かってきます。

0歳、1歳、2歳と、このエネルギーは天真爛漫に流れます。子供にとっては、

      遊ぶこと = 学ぶこと

なのです。これが、《興味関心・意欲の法則》を上手に使う秘密です。



こうして、私は、3歳になった子供が楽しんで毎日やりたがる《プリント》を創り出しました。一日一日の子供との「遊び」の中で、自然と生まれてきたのです。

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